僕の日々

公務員から農業への転職を機に始めたブログ。自分のことをだらだらと綴っています。

片付けの記録③ シャツ~ズボンなどなど

 仕事も3週間が過ぎ、服の着まわしが整ってきたので、一気に服を篩にかけてみた。

 まずはインナーシャツの続きである。

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 白、グレー、黒のインナーシャツ達。色の濃いものは、透けて見える可能性からここ半年ほど着ることがなかったので、謝罪の念を込めてさよなら。白は、もう必要数足りているのでこれもさよならだ。

 

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 続いてまたもや、白インナー。理由は同上。改めて見てみるとかなりの数を保有していたことがわかる。管理しきれていないのがつらいところだ。

 グレーの長袖は、私服の下に着れば良いと思われて購入してあったのだが、結局のところ着た試しがない。もったいないけれど、今後、これを下に着ることもないので、腐らせておいても仕様がないので処分だ。

 靴下は、ビロンビロンにのびており、また、デザイン的にもはいてスッキリとしないので処分することに。たくさん履いたので許してください。ありがとう。

 

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 続いて、ポロシャツ4枚。以前の色で使用してたが、デザインが気に入っていたというわけではなく、このデザインならば地味なので避難されることもないであろうという理由から着ていたもの。長年お世話になったこともあり、処分するには若干名残惜しいものの、今後スポーツもすることはないし、無難なデザインを選ぶ必要性もなく、また、普段着として着るほどの愛着を持ち合わせていないことから、あえなく処分の対象となった。だが、君たちのおかげで暑い夏の日、職場で過ごすことができたのだ。ありがとう。

 

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 お次はワイシャツ達の登場である。どれも、長年の戦友達。社会人としての見た目を自分なりに満足させてくれた。だが、現職では不必要な存在になってしまった。かわいそうであるが、機能的にも農業には向かないので、お別れとなる。また、公用ということもあり、私服のお気に入りシャツたちには勝利することができず、お別れを後押しされてしまった。だが、水の合わない職場でモチベーションを急降下させずに通うことができたのも、このシャツたちのおかげであった。感謝とともにお別れ。

 

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 半ズボンと長ズボンと靴下。半ズボンは暑い夏、外での作業でお世話になった。やはり、運動着だけあって動きやすく快適であった。ポロシャツ達同様、これも大変頼りになった存在であった。しかし、スポーツマンらしいデザインは、インドアの僕にとってはあまり好みではないので、これまでの戦いを胸に別れとあいなった。

 長ズボンは部屋着として活用していた。動きやすく着心地もよく、このズボンを履くと怠惰な生活へまっしぐらという魔力をもっていた。今は、部屋着はチノパンとシャツと変わってしまったため、怠惰な道に引き込まれたくないので処分することに。機能性がよいというのも、考えものだなと思わせてくれた。

 靴下達は、それなりに履いたもの達。数えてみると余りにも量が過剰だったので、今回、先に挙げたものに加え、この三足も処分の対象となった。まだ履くことはできるけれど、その頻度は少ないと予想され、数が多いと管理に負担がかかることもあり、お別れをする。

 

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 さて、次は夏用のズボン2着。どちらも風通しがよく、暑い夏の日にはぴったりのズボンである。だが結局、去年あまり履かなかった。チノパンのようなものに僕は愛着があるらしく、彼らは疎遠になっていた。今年も同じような関係が続いてしまうと思うと、引き出しの中の彼らがかわいそうなので、今回は先手を打ってお別れすることにした。申し訳ないことをした。

 

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 最後は年長者3着。どれも7年以上着続けた服たちで、ベテラン勢である。紺色のパーカーとチェックのパジャマは学生時代からの長い付き合い。色落ちしても、少しずつなので特に気づくことがなく、7年ともに過ごし続けた。妻によって色の薄さに気づかされ、クタクタになっていることもあり、彼らとの別れを決意した。モラトリアムとの甘酸っぱい思い出を思い出しながら、新たな人生を歩き出していける気がする。

 グレーのシャツは、僕の持っている服の中でも最も年長者。着続けること12年。高校生から、大学、社会人と、大人の階段を一緒に上がっていった服だ。色は薄まり、首はビロビロたるみ、何とも言えない自由なシャツであった。だが、僕の服装の変化から、去年はほとんど着ることがなかった。長年の付き合いの彼とも、今年が最後の年になるなと考えていた。今回服を整理するにあたり、自分の人生と彼の使用感を思いながら別れることにした。今までありがとう。

 

 見返すと、こだわりがあるものと、そうでもないものがあった。自分では、それなりに選んで購入し使っていたと思っていたが、こうして少し俯瞰的に見てみると、大概であることがわかった。やはり、あれもこれも物を手に入れると、気が緩んでしまうものがあるのだろう。数を購入しているとその頻度も増えていそうだ。1つ1つを厳選して、自分が保有している物を把握した上で購入しないと、今回のインナーのように、曖昧な存在が出てきてしまう。それは、物が増えてしまうし、把握できなくなる。何より、曖昧にされた物に失礼であった。まだ、僕の持っている物は数が多い。全ては難しかも知れないが、自分のチカラで把握しきれるだけに減らして、自分にも、物にも誠実に生きることができるようにしたい。

 

片づけの記録② 長袖インナーシャツ達

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 先日に続き、今日は下着を一部見直した。

 長袖の、冬用のインナーシャツである。季節も春に移り変わり、衣替えがやってくる今日この頃なので、これは丁度いいと考えたのである。全ての衣類を選別しようとも思ったが、ちまちま進める方が、日を分けて楽しむことができるので、インナーシャツだけにした。少し背伸びして買ったウィスキーを晩酌に飲むような、あの感覚だ。

 問題となっているインナーシャツであるが、全部で5枚あった。5枚。きっとこの数字には意味がある。おそらく、月曜日から金曜日まで1日に1着という算段だったのだろう。何気なく出して着ていたし、購入した記憶も曖昧なので、こう憶測するしかない。記憶にないと言うことは、適当に購入していたのだろう。深い意味がないはずだと判断したので、何の気後れもなく選別することにした。

 確かに平日に1着ずつあるのは、毎日確実に着ることができる安心感がある。しかし、考えてみると、洗濯機は毎日回してもらっている。前日に着た1着ぐらいなら、洗濯機の容量や干す手間もそれほど大きくはとらないであろう。1着を選択して干している間に、1着着るということは予備が3着あるということだ。予備は3着も必要だろうか。むしろなくてよいのではないか。しかし、予備がなしでは、3日間連続で冠婚葬祭系のイベントが発生した場合や、洗濯ができなかった場合に、香ばしいにおいを漂わせねばならなくなる。それは回避したい次第であるので、予備は必要である。1着あれば、何とか回していけるであろう。

 以上の理由から、インナーシャツは3着にする。丁度2着がびろんびろんに伸びきっており、さすがに売ることはできそうにないので、それらを捨てることにした。うむ、一件落着、すがすがしい気分だ。

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※さよならされた2着。長い間お疲れ様でした。

 

 

 起床時間:5時8分

 問題なし。復活である。

 体重:63.4キロ


 体脂肪率:22.8パーセント
 平行している。一朝一夕では筋肉はつかないようだ。

 

仕事着とシャツ

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 シャツを1枚、捨てることにした。公務員時代に来ていたストライプのちょっとイカした感じのものである。

 どうして捨てるのかというと、着る見込みがないがないかだ。僕の体が大きくなったことが原因ではない。人としてのサイズが大きくなったといっても、ぎりぎりではあるが、まだ着ることはできる。誤解しないでいただきたい。

 前々から、少し、このシャツには不都合な点があった。1日着用すると、首もとがこすれて、ひりひりするのだ。いつも午後3時ごろにそれが自覚され、首をかばいながら、どうにかならないものかと途方にくれていた。どうにかならないも何も、単純に着なければいいだけの話であるが、新しい物を購入するのもめんどく臭く思われ、また、デザインがそれなりに気に入っていることもあり、痛くもあり、着たくもあり、何だがよくわからない感情に翻弄され続けていた。

f:id:karasinegi:20180408073530j:plain※イカしたユニクロのシャツ

 今は、1日体をハードに動かし続ける。それほど動かなくても首がこすれたシャツである。これを着て仕事をしたら一体どうなってしまうのかは、想像に難くない。きっと、仕事が終わる頃、僕の頭は首の皮一枚で、かろうじてつながっている状態であろう。シャツのデザインも大切であるが、自分の首のが何者にも代え難い。そこはわかっていただきたい。
 

 起床時間:6時57分

 ギリギリである。昨日の飲み会が響いた。何とか起きることができた自分を褒めたい

 

 体重:64.4キロ

 体脂肪率:22.8パーセント

 

 焼肉食べ放題だから仕方がない。羽目を外すときもあるのだ。
 

腱鞘炎という病

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 腱鞘炎が完治した。右手首は今ご機嫌だ。痛みは感じず、片手でほいほいキャベツを積むことができる。

 治るまではかなり辛かった。始めは片手で持つと、少し痛む程度であったが、日を経るに従って痛みが増幅し、終いには少しの負荷で、鋭い痛みが脳へ駆け上る始末であった。少しというのは、本当に少し。半分くらい入った缶コーヒーをもつ程度。しかし、右手は僕の利き手である。ついつい、何の気なしに使ってしまう。ドアノブに手をかける、バランスを崩して落ちてきたキャベツを止める、リュックを持つ、等々挙げたらきりがない。気づいたときにはもう遅いというやつで、「ぬうう!」と情けない声と共に悶え、同時に後悔と屈辱を味わう。

 何も、痛みが徐々に増していく様を、指をくわえて見ていたわけではない。ちゃんとネット調べて対処した。それは知っておいてもらおう。僕もいっぱしの大人なのだ。文明人なので、インターネットという最先端科学を駆使し、情報を集めた。その中から見つけた、温めるのがよいというサイトの解説のもと、湯船にゆったりと手首を浸したり、カイロを貼ったタオルを腕に巻き付けて眠った。いかにも治りそうである。大人の力を見くびってはいけないのである。

 するとどうだろう、次の日には、手首が見事に腫れあがっているではないか。もちろん、痛みも更に活発。荒くれ者と化し、傍若無人の限りを尽くす。対処療法の話を仕事先の人にすると、「腱鞘炎は冷やすのが常套ですよ。」と言う。なんと真逆である。さらに、「温めると結構がよくなって、余計にはれて痛みます。」と一押しをくらう。その通りなのは一目瞭然の事実、裁判員制度でも全員が有罪判決を下すレベルで、「でも、ネットでそう書いてあったんです。」など、恥ずかしくて言うことができなかった。

 何も信じられなくなったので、半日休みをもらって医者に行くことに決めた。もう右手は再起不能に陥っていた。生涯で初めて右手のことを恨んだくらいだ。きっとこれは腱鞘炎の中でも重傷で、対処しようがなく、地元の医者では匙を投げ、どこか大都市にある専門病院に緊急搬送されるのではないかと不安がっていたが、医者は、「腱鞘炎ですね。」と鶏のささみのようにタンパクであった。「4月は休めず、右手は使い続けなくてはいけないのですが、治るでしょうか。」というせっぱ詰まった慟哭に似た懇願にも、「じゃあ注射を打ちますね。」と拍子抜けするぐらいさらりと返し、さっさと専門的な何やら以上に効果がありそうな科学物質を手首に打ち込み、「手首を固定するバンドと、痛み止めと、湿布を出しておきます。1週間後また来てください。」と、ものの10分程度で診察が終わってしまった。大したことないのは嬉しいが、もうちょっとドラマチックな言葉をかけてほしかった。

 それからというもの、みるみる腫れは引き、僕の知っているいつもの右腕に戻っていった。暴君も改心したようで、2日後にはほとんど痛みはなく、冒頭へ至る。自分で世界の終わりかと不安がり、半死半生のヒーローのように痛みに耐え続け、カイロまで貼った努力は何だったのだろうか。

 今回の教訓は、餅は餅屋で医者はやはり偉い、先生とかお医者様と呼ばれる由縁がわかったということだ。

 素人というものは、何もわかっていない。僕も全てにおいて素人だ。侮ることこそしなかったが、それなりに勉強したのならともかくとして、適当に調べたことを過信してはいけない。その世界で食っている人は、やはり誰も偉いのである。

 

 起床時間:5時30分

 かなり定着してきた。20日続ければ習慣になるとどこかで聞いた。この調子である。

 

 体重:63.5キロ
 体脂肪率:22.8%

 まだまだである。むしろ両方とも増えている。誤差だと信じたい。

プロテインによる緊急避難警報

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 僕の贅肉は根性がある。一日肉体労働をしても、いっこうにへこたれない。消費しても消費しても、なにくそ、と大和魂を発揮してくるのである(出されたおやつを食べてしまう自分の精神の弱さは別として)。炭水化物抜きダイエットでの雪辱をはらそうと、いつの間にか強い意志をもってしまったようだ。彼らの成長ぶりに感心である。

 そこで意志薄弱な僕は、彼らに直接戦いを挑むのは止め、助っ人を呼ぶことにした。そう、筋肉である。助っ人とは卑怯極まりないと思われるかもしれないが、筋肉をつける努力をするのは僕なので、よくよく考えてみると、間接的ではない。

 細かいことはさておき、そうと決まったら、筋肉をつけるための算段をとる。

 運動であるが、これは全く問題ない。農業は体を使ってなんぼ。一日中フル稼働だ。特に今はキャベツの収穫期。休日など無い。毎日がエブリディ状態なのだ。しかも、仕事は重労働で、そうと言うのもキャベツは1玉2~3キロ。それを切り、積み、箱に詰める。箱は1箱約16キロ前後。さらにそれを積み上げる。ゆうに300箱はくだらない。筋肉を使わずして、一体何を使うのか。

 だが、欲張りな僕はそれでもまだ足りない。もっと筋肉をつけたいと望む。余りある筋肉をつけ脂肪を減らしつつ、引き締まった美しい成人男性のボディを急速に作りたいのだ。そしてそれを後押しする存在を見つけた。プロテインである。
 プロテインによる効力は2つある。

 1つ目は、もちろん良質なタンパク質によって筋肉の増幅が加速すること。これで、マッチョマンも目前だ。

 2つ目は、(ここが重要)休憩時間に飲むことによって、お腹が膨れ、満足感を得られることだ。おそらく、食べるお菓子の量が減るだろう。運動直後なので、効果も抜群。

 つまり、運動した直後に飲むことで効率よく筋肉が作られ、お菓子が減ることで余計な脂肪が押さえられる。仕事にプロテインを合わせることで、一石二鳥なのである。我ながら恐ろしいことを思いついたものだ。

 さっそくではあるが、昨日、プロテインを薬局で購入した。もちろん、牛乳も同時にだ。なんなら卵も買おうかとも思ったが、あまりおいしそうではなさそうなので、それは止めた。味は大切だ。

 これから、筋肉がついてついて仕方がなくなることが予想される。体脂肪に緊急避難警報を発令しよう。

 

 

 起床時間:5時30分

 非情に素晴らしい。目覚まし音をアヒルの声にした甲斐があったというものだ。


 体重:53・4キロ
 体脂肪率:22・3パーセント

 とりあえずの目標は体脂肪率20パーセント。体重計の調子によって多少の誤差はあるようだが、コンスタントに出るようになれば、達成と言うことだろう。

 

心配という揺り戻し

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 ブログを始め、新しい仕事にも勤め、いろいろなことに取り組んでいる。心機一転した今、所謂躁状態にある。

 ここで、心配が出てくる。揺り戻しが起こるのではないか。五月病というやつである。ブログや仕事に慣れてくることで、刺激が失われ、抜け殻のようになるのではないかという心配である。

 それは回避しなければならない。折角いろいろ取り組むことができている今の好環境をみすみす失ってなるものか。

 心配という感情は、厄介なものだ。これまで、どれほどのことを心配してきたであろうか。高校では、大学に入ることができるのか、心配が不安と焦りを膨らませ、受験勉強に取り組ませた。大学では、社会人として大人というものに僕はなれるのか、なったら一体どれほどの苦労を背負わねばならないのかと、夢と希望に溢れているはずの時間を、漠然とした心配事に蝕まれた。社会人になってからは、自分の勉強不足に悔やみ、慣れぬ水を無理矢理飲む日々。定年まで、嫌だ嫌だと言いながら、この仕事を続けるのが僕の人生なのか、と将来を心配していた。心配がプラスに転じたことなど一度もなかった。

 今振り返ると、心配に対して何も対処していなかった。それがいけなかった。心配だ、心配だと嘆き悲しむことに必死だったのである。当時は本当に、真剣に悩んでいた。悩んだ挙げ句、自転車で真夜中ひたすら河川敷をうろうろしたり、不眠不休で海外ドラマを見ていたりした。だが、客観的に見ると、それらは現実逃避で、どう頑張ってつぶさに観察しても、状況を好転させる要素は砂粒一つすら見つからない。幸運なことに、今はなぜだか冷静に見ることができるので、自分自身を反面教師として心配に対して対策を施すことができる。

 では、その心配を打破するにはどうするかである。今の心配は、揺り戻しが来て現状を維持できなくなるのでは、というものである。

 今の自分の対策は、心に余裕をもたせることだ。心の余裕は、何も考えない時間を作るとたぶん生まれる。小鳥のさえずりを聞いているときとか、無心で何かに取り組んでいるときとかにだ。

 心の余裕が大切だなという考えに至ったのは、単純作業をしているときに、あれやこれやと考えていたら非情に疲労が溜まったように感じたからである。時間短縮になるだろうという目論見があったが、先のことばかりが気になってきて、作業には集中できないし、あれもこれもと、大げさに言えば脳がパンクしそうになってしまった。きっと、この状態を続ければ、無気力の波が押し寄せ、僕は飲まれてしまうであろう。

 結局行動するのは、行動できるときで、一つのことしかしない。だから、大まかな算段だけつけておいて、そのときできることに無心で取り組むのが良さそうである。空いた時間には、溜まった考えをノートに書いて脳から出しておいたり、自然を感じて心をリセットするのである。常にスッキリトしたシンプルな状態にしておくのだ。そうすれば、やることに集中でき、余計な考えが浮かんでこないであろう。

 

 起床時間:5時30分

 及第点である。この調子。

 

 体重:63.4キロ

 体脂肪率:22.2%

 並行している。運動量とともに、摂取量も増えた。もしかしたら、筋肉がついてきたのかもしれない。それならば、体重だけでなく、体脂肪率も計ろう。問題となるっているのは、重さではなく、見た目だからだ。引き締まっているのならば、多少重くてもよい。 

 


 
 

僕とジャージ

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 私の転職先は農業である。なので、基本的に服装は動くことができれば問題ない。

 現在は、何が動きやすいのか、どこまでなら見た目的にもいい感じの服装なのかを模索している。

 ジャージはとても動きやすい。流石は運動着である。体にくっつきずぎず、程よいダボつき、まるで裸で活動しているようである。さらに、速乾性にも優れ、僕の体内から溢れ出た水分を、ものの数分で空中へ散布させる。農業にはもってこいと、この使用感は誰もが太鼓判を押すであろう。

 だが、ジャージはカッコ悪いのである。これは、何もジャージを否定しているわけではない。僕にジャージが似合わないということである。若い女性のジャージ姿にはぐっとくるものがある。若さが内側から溢れ、はち切れんばかりの活力が見て取れ、体がうずうずとするぐらいだ。反対に、僕がジャージを着るとどうであろう。若さや活力はとうに失われ、運動のために着ているというより、近くにあったから適当に身につけ、きっと家に帰ってからも寝巻きとしても使っていたり、都会に遊びに行くときにもきっとジャージと適当なサンダルでも履いていっているのだろう、ああ、意識が低いというのは哀れなものだな、とちらりと僕を見た人はこんな印象を抱いてしまうほどのかわいそうなジャージの着こなしなのである。

 とにかく、今わかっているのは、ジャージは仕事着に機能的にはいいが、印象や僕の心持ちが悪いということだ。ここは、心持ちを取りたい。これから、服装を模索していき、これは似合うじゃないか!流石農家、服を着こなしているぞ!と自分自身で思えるようにしていこうではないか。

 

 起床時間:5時15分

 うむうむ、よい。日々の疲れが完全に抜け切れてはいないが、7時前を継続している。早くなっているぞ。

 

 体重:63.4キロ

 やはり、肉体労働をすると、食べてしまう。これがまたうまいのだ。よくかんでとはいったものの、メモ前の食べ物が、早くしないと消え失せてしまうのではないか、とついつい焦ってしまう。落ち着くのである。