僕の日々

公務員から農業への転職を機に始めたブログ。自分のことをだらだらと綴っています。

腱鞘炎という病

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 腱鞘炎が完治した。右手首は今ご機嫌だ。痛みは感じず、片手でほいほいキャベツを積むことができる。

 治るまではかなり辛かった。始めは片手で持つと、少し痛む程度であったが、日を経るに従って痛みが増幅し、終いには少しの負荷で、鋭い痛みが脳へ駆け上る始末であった。少しというのは、本当に少し。半分くらい入った缶コーヒーをもつ程度。しかし、右手は僕の利き手である。ついつい、何の気なしに使ってしまう。ドアノブに手をかける、バランスを崩して落ちてきたキャベツを止める、リュックを持つ、等々挙げたらきりがない。気づいたときにはもう遅いというやつで、「ぬうう!」と情けない声と共に悶え、同時に後悔と屈辱を味わう。

 何も、痛みが徐々に増していく様を、指をくわえて見ていたわけではない。ちゃんとネット調べて対処した。それは知っておいてもらおう。僕もいっぱしの大人なのだ。文明人なので、インターネットという最先端科学を駆使し、情報を集めた。その中から見つけた、温めるのがよいというサイトの解説のもと、湯船にゆったりと手首を浸したり、カイロを貼ったタオルを腕に巻き付けて眠った。いかにも治りそうである。大人の力を見くびってはいけないのである。

 するとどうだろう、次の日には、手首が見事に腫れあがっているではないか。もちろん、痛みも更に活発。荒くれ者と化し、傍若無人の限りを尽くす。対処療法の話を仕事先の人にすると、「腱鞘炎は冷やすのが常套ですよ。」と言う。なんと真逆である。さらに、「温めると結構がよくなって、余計にはれて痛みます。」と一押しをくらう。その通りなのは一目瞭然の事実、裁判員制度でも全員が有罪判決を下すレベルで、「でも、ネットでそう書いてあったんです。」など、恥ずかしくて言うことができなかった。

 何も信じられなくなったので、半日休みをもらって医者に行くことに決めた。もう右手は再起不能に陥っていた。生涯で初めて右手のことを恨んだくらいだ。きっとこれは腱鞘炎の中でも重傷で、対処しようがなく、地元の医者では匙を投げ、どこか大都市にある専門病院に緊急搬送されるのではないかと不安がっていたが、医者は、「腱鞘炎ですね。」と鶏のささみのようにタンパクであった。「4月は休めず、右手は使い続けなくてはいけないのですが、治るでしょうか。」というせっぱ詰まった慟哭に似た懇願にも、「じゃあ注射を打ちますね。」と拍子抜けするぐらいさらりと返し、さっさと専門的な何やら以上に効果がありそうな科学物質を手首に打ち込み、「手首を固定するバンドと、痛み止めと、湿布を出しておきます。1週間後また来てください。」と、ものの10分程度で診察が終わってしまった。大したことないのは嬉しいが、もうちょっとドラマチックな言葉をかけてほしかった。

 それからというもの、みるみる腫れは引き、僕の知っているいつもの右腕に戻っていった。暴君も改心したようで、2日後にはほとんど痛みはなく、冒頭へ至る。自分で世界の終わりかと不安がり、半死半生のヒーローのように痛みに耐え続け、カイロまで貼った努力は何だったのだろうか。

 今回の教訓は、餅は餅屋で医者はやはり偉い、先生とかお医者様と呼ばれる由縁がわかったということだ。

 素人というものは、何もわかっていない。僕も全てにおいて素人だ。侮ることこそしなかったが、それなりに勉強したのならともかくとして、適当に調べたことを過信してはいけない。その世界で食っている人は、やはり誰も偉いのである。

 

 起床時間:5時30分

 かなり定着してきた。20日続ければ習慣になるとどこかで聞いた。この調子である。

 

 体重:63.5キロ
 体脂肪率:22.8%

 まだまだである。むしろ両方とも増えている。誤差だと信じたい。