僕の日々

公務員から農業への転職を機に始めたブログ。自分のことをだらだらと綴っています。

心配という揺り戻し

           f:id:karasinegi:20180405061940j:plain

 ブログを始め、新しい仕事にも勤め、いろいろなことに取り組んでいる。心機一転した今、所謂躁状態にある。

 ここで、心配が出てくる。揺り戻しが起こるのではないか。五月病というやつである。ブログや仕事に慣れてくることで、刺激が失われ、抜け殻のようになるのではないかという心配である。

 それは回避しなければならない。折角いろいろ取り組むことができている今の好環境をみすみす失ってなるものか。

 心配という感情は、厄介なものだ。これまで、どれほどのことを心配してきたであろうか。高校では、大学に入ることができるのか、心配が不安と焦りを膨らませ、受験勉強に取り組ませた。大学では、社会人として大人というものに僕はなれるのか、なったら一体どれほどの苦労を背負わねばならないのかと、夢と希望に溢れているはずの時間を、漠然とした心配事に蝕まれた。社会人になってからは、自分の勉強不足に悔やみ、慣れぬ水を無理矢理飲む日々。定年まで、嫌だ嫌だと言いながら、この仕事を続けるのが僕の人生なのか、と将来を心配していた。心配がプラスに転じたことなど一度もなかった。

 今振り返ると、心配に対して何も対処していなかった。それがいけなかった。心配だ、心配だと嘆き悲しむことに必死だったのである。当時は本当に、真剣に悩んでいた。悩んだ挙げ句、自転車で真夜中ひたすら河川敷をうろうろしたり、不眠不休で海外ドラマを見ていたりした。だが、客観的に見ると、それらは現実逃避で、どう頑張ってつぶさに観察しても、状況を好転させる要素は砂粒一つすら見つからない。幸運なことに、今はなぜだか冷静に見ることができるので、自分自身を反面教師として心配に対して対策を施すことができる。

 では、その心配を打破するにはどうするかである。今の心配は、揺り戻しが来て現状を維持できなくなるのでは、というものである。

 今の自分の対策は、心に余裕をもたせることだ。心の余裕は、何も考えない時間を作るとたぶん生まれる。小鳥のさえずりを聞いているときとか、無心で何かに取り組んでいるときとかにだ。

 心の余裕が大切だなという考えに至ったのは、単純作業をしているときに、あれやこれやと考えていたら非情に疲労が溜まったように感じたからである。時間短縮になるだろうという目論見があったが、先のことばかりが気になってきて、作業には集中できないし、あれもこれもと、大げさに言えば脳がパンクしそうになってしまった。きっと、この状態を続ければ、無気力の波が押し寄せ、僕は飲まれてしまうであろう。

 結局行動するのは、行動できるときで、一つのことしかしない。だから、大まかな算段だけつけておいて、そのときできることに無心で取り組むのが良さそうである。空いた時間には、溜まった考えをノートに書いて脳から出しておいたり、自然を感じて心をリセットするのである。常にスッキリトしたシンプルな状態にしておくのだ。そうすれば、やることに集中でき、余計な考えが浮かんでこないであろう。

 

 起床時間:5時30分

 及第点である。この調子。

 

 体重:63.4キロ

 体脂肪率:22.2%

 並行している。運動量とともに、摂取量も増えた。もしかしたら、筋肉がついてきたのかもしれない。それならば、体重だけでなく、体脂肪率も計ろう。問題となるっているのは、重さではなく、見た目だからだ。引き締まっているのならば、多少重くてもよい。